ダムができることになった経緯


 どのようにしてこのダムが作られることになったのでしょうか?

   実はすでに寒霞渓には小さなダムがあります。




写真右下に見えるのが、現・内海ダム。
下に広がる町が旧・内海町(現・小豆島町)。


    この現・内海ダムは、寒霞渓の頂上付近から流れる別当川に

S31年完成、S34年に多目的ダムに改築されました。


    阪神大震災のあった頃、香川県は

「今のダムは沈下、老朽していて地震に弱い」 

      と説明し、地元は修繕を依頼しました。


島の人たちも

「今のダムを直してくれるなら、ありがたい」

ということで県に協力しました。


     ところが蓋を開けてみれば、

修繕のはずの計画は、

治水と利水目的の巨大堰堤の新内海ダムを

造ることにいつの間にか変わっていました。


     川幅数m、全長わずか4kmの小さな別当川に、

川幅の100倍の447mの堰堤です。

    この規模は、四国の水がめ早明浦ダムよりも大きいのです。



      新・内海ダムの完成模型。

                     小山をはさんで、山から山までかかっている。


ダムの計画に賛成している人がいる一方で、

    反対している地元の方達もいます。


しかし、県は地元の人たちに十分な説明をしないまま、

反対している人たちの土地を強制的に手に入れて、

このダムの計画を推し進めようとしています。


その過程で、

平和な島の小さな町は

住民同士が対立してしまいました。


'政権が変わり、


'09年12月12日、前原国土交通大臣(当時)が

補助ダム(県が作っているダム)の中で一番最初に

新内海ダムを視察に来ました。


大臣からはダム事業の

凍結・見直しの要請がありましたが、

香川県知事は「このまま事業を続ける」と

大臣の要請を拒否し、


3日後の12月15日、香川県議会で工事が決定されました。

全国各地でダムの見直しが進む中、

新内海ダムでは再検証すらされませんでした。


'10年2月22日、ダムの本体工事が始まりました。

このまま、数年後にダムは完成してしまうのです。


小豆島の将来にとって、


とても大きな選択であるはずのこのダムの建設は

「いつの間にか」「誰かの手で」、始まってしまいました。


この状況の中でも、

島の人たちはあきらめていません。


まだ、今からでも間に合います。


「納得して」「みんなの意思で」

これからの小豆島の未来を変えていきましょう。


ぜひ、あなたの力を貸してください。









署名へのご協力、お願いいたします。



このダムの「見直しを求める」署名を集めています。


単純に「中止」「反対」ということではなくても、

すべての情報を出し合って、きちんと話合えばおのずと道は見えてくるはず。


今のように、まず「ダム」ありきの工事ではなく、一旦工事を中断して、


「この計画が本当に最適なのかどうか」の再検討を

求める署名を集めています。ぜひご協力ください。


署名はこちらから。














カンパへのご協力、お願いいたします。


新内海ダム建設予定地の土地は97%が県に取得されていますが、

残り3%の土地は所有者の方が反対されているため、

強制的に県が取り上げる手続きをしました。


この裁判では、残り3%の所有者の方達が強制収容は違法だとして国を相手に訴えています。


  この一連の裁判等の手続には経費だけでも多額の費用が必要です。

貴重な自然を守るため、カンパをお願いします。


カンパの際には郵便振替用紙に

「寒霞渓裁判支援カンパ」とご記入ください。



(支援カンパ送付先) 振り込み口座が変更しました。('10.2月〜)


<郵便振替>  口座番号 01690ー9ー132093  

加入者名 内海ダム再開発事業認定取消訴訟原告団


郵便振替用紙通信欄には、「小豆島巨大内海ダム建設中止裁判支援カンパ」


とご記入の上、一口1,000円(何口でも可)でお願いします。










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